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鈴木 哲(すずき てつ、1964年1月22日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物== === プロ入り前 === 福島県立福島高等学校では斎藤智也と同期。夏の甲子園県予選では準々決勝まで進出するが、平工に惜敗。2年浪人して慶應義塾大学文学部に進学した。入学時は肩の筋肉が衰えていたが、トレーニングを重ねて2年春には志村亮とともに投手陣の柱に成長〔朝日新聞、1985年5月31日付夕刊、P.3〕。秋季リーグではチーム13年ぶりとなる優勝を飾る。直後の明治神宮野球大会でも、決勝で西崎幸広を擁する愛知工大を降し初優勝に貢献した。春季リーグでは、勝てば優勝の決まる早慶戦で9回2死から加藤正樹に逆転サヨナラとなる二塁打を打たれ、優勝を逃している〔毎日新聞、1993年11月2日付夕刊、P.7〕。4年生になると最速145km/hの速球〔朝日新聞、1988年6月18日付夕刊、P.3〕で六大学リーグ屈指の速球派右腕と評される。の日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。リーグ通算48試合登板、18勝10敗、防御率2.74、199奪三振を記録。プロからも注目を集めたが、海外に出て勉強をしたいとしてドラフト会議前に熊谷組への入社を宣言し〔読売新聞、1987年11月18日付朝刊、P.17〕、指名する球団は現れなかった。中日ドラゴンズと読売ジャイアンツはそれぞれドラフト1位での指名を検討していたが、鈴木の指名拒否を受けそれぞれ立浪和義と橋本清(ともにPL学園の同級生)を1位指名した。〔【11月18日】1987年(昭62) 長嶋一茂、幻の巨人1位指名 〕 社会人1年目のは都市対抗に出場し、1回戦から3試合連続で先発、準々決勝では日本たばこを完封する。しかしNTT東海との準決勝では、同点の9回1死一、三塁の場面で登板し、湯之戸孝修にサヨナラ3ランホームランを打たれた〔読売新聞、1988年8月7日付朝刊、P.19〕。 また同年は第30回アマチュア野球世界選手権日本代表、ソウルオリンピック野球日本代表に選ばれている。翌の都市対抗にもエースとして出場、2勝をあげ準々決勝に進むが新日鐵堺に敗れた。チームメートに宮里太、佐藤和弘らがいた。 社会人時代も一貫してプロ入り拒否の姿勢を示していたが、1989年のドラフト会議で西武ライオンズから指名を受けた。指名直後は入団しない事を明言したが、一方でドラフト直前に西武のスカウトと接触しており〔読売新聞、1989年11月28日付朝刊、P.19〕、二回の交渉の結果、契約金と年俸それぞれ7,500万円、840万円(金額はいずれも推定)で入団に合意している〔読売新聞、1989年12月21日付朝刊、P.21〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木哲 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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